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うちの柴犬、麦の話
麦は柴犬で、去年の冬に16歳で逝きました。人間で言えば80歳を超えているそうで、「長生きしたね」と言われるたびに、誇らしいような、でも何か言いたいことがあるような気持ちになります。
最後の2年間は、毎朝麦の様子を確認することが私の一日の始まりでした。後ろ足が弱くなって、最初はよろよろするくらいだったのが、そのうち自力では立ち上がれなくなりました。排泄の介助も必要になって、正直なところ、しんどかったです。
介護って、こんなに密なんだ
食事のたびに体を支えて、夜中にトイレのサインを見逃さないように。「疲れた」と思った夜が何度あったか。それでも、麦の顔を見ると——耳がちょっとだけ前に向く、あれが「ありがとう」だったと思っています。
夫は最初、私が麦の世話に時間をかけすぎだと言っていました。でも最後の頃は、自分から麦の隣に座って、静かにその毛並みを撫でていることがありました。麦が教えてくれたのかもしれません、人が誰かのそばにいることの大切さを。
今も話しかけてしまう
麦がいなくなって半年が経ちます。朝、台所で朝ごはんを作っていると、「おはよう」と声が出てしまいます。返事はないけれど、おかしいことだとは思っていません。16年一緒にいたんだから、それくらいは許してほしい。
麦が最後に私を見た顔を、まだはっきり覚えています。あの顔があれば、悲しいだけじゃないです。